1. ホーム
  2. 会社概要
  3. 社員紹介
佐久間木材株式会社 創業明治38年 東京浅草 木質材料専門店 エコモク 

まるこんぶ

私の祖母は浅草聖天町生まれで、八百屋を営んでいました。
祖父は婿養子で大工でした。
戦争が激しくなったので、茨城へ疎開し、そこに私の実家があります。
疎開先で祖父は「これからは大工の時代じゃない!鉄だ!」と考え、私の父と鉄工所をはじめました。
私が生まれた頃は高度経済成長期真っ只中。
鉄工所の商売も順調で、新潟から住み込みで働いていた方も含め、4〜5人の職人さんが働いていました。
そんな祖父も60歳ぐらいの時に緑内障を患い、目が不自由になって現役から引退。
庭に植物を植えるのが趣味になっていました。
幼い頃、庭には祖父が丹精込めて育てていた庭木がたくさんありました。
白梅、柿、紫色の木蓮の大木、山吹、雪柳、温室の中で育てていたたくさんの熱帯植物、サボテン類などなど…。
中でも一番よく覚えているのは二階建ての屋根を越える位大きかったオニグルミの木です。
言うなれば我が家のシンボルツリー。
秋になるとたくさんの実がなり、家族で実を苦労して割って食べたのを覚えています。
金槌で軽く叩いくぐらいでは全然割れません。
実が小さいので自分の指を叩きそう、とビクビク。
手を離してヤーッとやってみると、クルミがあらぬ方向へ飛んでいってしまいます。
もう一度しっかりと狙いを定め、エイッ!
グシャ!…割れるというよりも中身まで潰してしまいます(^_^;)。
なんとも割り難い、小さくて硬くて扱いにくいヤツです。
クルミの花言葉は、「知性」「戦略」「あなたはすぐれた能力を持っている」「あなたに夢中」「至福の時」など…。
中世時代のヨーロッパでクルミが「頭の働きがよくなる」「脳の病気が治る」と信じられていたことに由来しています。
クルミの実が人間の脳髄のような形をしていることや、栄養豊富な種実であることから「脳によい食べ物」と信じられるようになっていったのでしょう。
今でもクルミを食べるのは大好きですが、子ども時代オニグルミを食べる時の苦労を思い出すと、なんて食べにくい実なんだ!?と思っていましたね。

クルミの木は木材としても昔から利用おり、「ウォールナット」と呼ばれています。
チーク、マホガニーとともに「世界三大銘木」と称される高級木材ですね。
強度と粘りがあって衝撃に強い、重厚な木目と狂いの少なさ、すぐれた加工性が特徴。
現在も高級家具材や工芸品として珍重されている木材だそうです。
実は自治体の区画整理でこのオニグルミの木を切り倒さなければならなくなった時は、家族で泣きましたね…( ; ; )

そんな鉄工所で育った私の幼なじみヒロコちゃん家は、道路を挟んでお向かいにあった大きな材木屋さんでした。
広大な土地に材木を保管する小屋がたくさんあり、その小屋は日が当たらないようにしているので、夏でもひんやりクーラーが効いているかのような涼しさでした。
ウチの実家の鉄工所なんかより何倍も広い土地で、いろいろな種類の木材を扱っていて、たくさんの職人さんもいました。
材木屋さんの小屋は木のいい香りがするし、かくれんぼするのに最適な場所ばかり。
なにしろ昼間でも暗いし、スリル満点!
子ども達の格好の遊び場だったのです♪
でもヒロコちゃんのお父さんはいつもブスッと不機嫌で、材木小屋に子どもが入る事は厳しく禁止していました。
子ども心に「なんてコワイ、イヤなおじさんだ!」(←ヒドイ)って思っていましたね。
大人になった今では、大事な売り物の材木にキズがついたり、万が一材木が倒れて事故にでもあったら危険だ…って理解できますけどね。

その後の私は、田舎になんて全然魅力を感じず、北関東の寒々しい田畑を見る度に「ゼッタイ東京で暮らす!」と心に誓っていました。
高校卒業後、デザイン専門学校→出版社勤務を経て、編集デザイン会社を27歳の時立ち上げ、工業系学会誌やHP制作、PC関連の仕事など、木材とはまったく関係ない仕事をしてきました。
しかし、かつて祖父母が暮らし、父も生まれた浅草の近くにずっと住み続けたそのワケは、この佐久間木材に勤める運命だったからなんだ!と今はマジメに思っています!( ̄^ ̄)ゞ。

「木のため世のためヒトのため」(2022年の佐久間木材のテーマです(^^♪)現在鋭意勉強中!
新米事務員の木材修行はまだ始まったばかりです!

弊社社員紹介

佐久間木材で働くメンバーを紹介します。
 | 木材バカ四代 | 正さん | まるこんぶ | 兄貴6 | ゴン |
 | ドサンコ | くりすけ | 2号目 |