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佐久間木材株式会社 創業明治38年 東京浅草 木質材料専門店 エコモク 

正さん

私は今から20数年前、とある繁華街にどっぷり浸かった生活を送っておりました。
苦労して入った付属高校から苦労なく大学に進みホッとしたのか、確たる将来の目標も無く、ほとんど毎日バイトや遊びに明け暮れておりました。
そしてその反動は、2年の夏に早くも留年確定!という形でやってきました。
当然と言えば当然のことなのですが、一応ショックを受けました。
さんざん悩んだあげくに中退を決意し、親に伝えました。
泣かれました、3時間半。
当然ですよね。

それから半年、さらにすさんだ生活を送っていたある時、バイト先の上司に「ショウイチ!おまえみたいに若い奴がこんな生活送っていたらダメだ!!!」と、一喝されました。
当時台東区の教育委員だったそのお方の紹介により、何社か一緒に周っていただいたのですが、その頃車の免許がなかった私は、当然のごとく行く先々で採用を断られ続けました。
そして、何社目かは記憶にありませんが、そのお方と弊社前社長(3代目)が懇意だったこともあり、ようやくこの佐久間木材より採用のお言葉をいただきました。
しかし、当時21歳だった私は、「材木屋かよ〜、だせ〜な〜、いやだな〜」という気持ちで一杯でした。
しかしながら、必死になって職を探してくれたあの方に恥をかかせる訳にいかないし、喜んでくれた親の為にも、「とにかく頑張らなければ」という思いで社会人生活をスタートしました。

実は、その春は私の他にも同期入社が2人いたのですよ〜。
そのうちひとりのFさんはほぼ同年齢で、福島の材木屋さんから修業にきていたのですが、彼が同期でいなかったらおそらく私は今ここにいなかったでしょう。
とにかく他に若者が全くおらず、周りの人は皆一回り以上上の先輩ばかりで、話をする人がいなかったのです。
私は合板部、彼は木材部でしたので、昼間はたまにすれ違う程度でしたが、夜になると、辛いこと、苦しいこと、悔しいこと、腹立たしいこと、たまにウレシかったことなどなど、ビール片手によく二人で語り合いました。
その頃の抜型用合板と言えば、今では考えられない程太いシナ丸太を存分に使った9PLYのシナ共芯合板とラワン合板を貼り合わせた再合板と呼ばれるものしかありませんでした。
レーザー加工機を保有しているところは数社しかありませんでした。
レーザー加工にはシナ共芯合板、ミシン加工には再合板という形でお使いいただいていたように思います。
当時は、何も特別なことはしなくてもバブル経済と共に業績は順調に右肩上がりを続けておりました。
それから数年後、同期の彼も家業に戻ってしばらくした頃、バブルの崩壊が起こりました。

今は主流となっている11PLYのシナ共芯合板がでて数年後のことでした。
不況に強い抜型業界と言われ続けておりましたが、さすがにその不況の波はジワリジワリとこの業界にもやってくることになりました。 思えば、初めて後輩を持ったのもちょうどその頃でした。
いや〜とまどいましたね〜(笑)。
だって初めてですから〜。
それまでは、教わってばかりでまだまだ半人前にもなっていない自分が、今度は教える立場になったのです。
教え方もよく分からないまま、とにかく必死でガンバリました。
私の特技と言えば気遣い。
時には「考えすぎですよ〜」と言われるほどいろいろなことを考えながら接しました。

しかし、そんな大事な時でした・・・。
野球で骨折し、しばらく職場を離れることになってしまいました。
一ヶ月半ほど経った頃、ようやく会社に戻って来た時には、彼はたくましく育っていました。
ちょっと変な方向でしたが・・・(笑)。
もちろん、そんな彼もいまや私にとってとても大事な、非常に頼もしい存在になってくれていることは言うまでもありません!? そう言えばこの頃から、この抜型業界もいろいろなことが起こりました。
急速なレーザー加工機の普及、レーザーカッティングセンターの急成長など、いよいよ機械全盛の時代が始まったのです。
抜型の精度要求が高くなり、またそれに応じられるようになり、それにつれ合板も当然のように精度を求められるようになりました。
その抜型用合板では、これまで主役だったシナ材に変わり、中芯にいろいろな樹種が加わってくるようになりました。
アスペン、ジェルトン、ポプラ他、さまざまな南洋材など、加工性の向上や低コスト化が叫ばれるようになりました。
と同時に、合板の平滑度、いわゆる反りや厚みについてもかなり私たちを悩ませてくれるようになりました。
ミシン挽きではOKだったレベルもレーザー加工機ではNG品に・・・
材料となる北海道内のシナ材はどんどん減り、同時に使用する原木はどんどん細くなり、良質なものは中々入手できなくなってきており、品質の維持はかなりの苦労を強いられました。
天然素材を利用し、高品質のものを作ることは容易ではありませんでした。
しかし、各合板メーカーさんはいろいろな知恵と工夫を絞り出し、見事にその要求に応えてくれました。
さらに現在では多種多様なラインナップを取り揃えられるようになりました!

当時、弊社でもたくさんの先輩や上司の方がおられました。
いろいろな先輩方がおられ、いろいろなことをたくさん教わりました。
今、ここで働かせていただけているのも、もちろん諸先輩方のご指導のおかげであることは言うまでもありません。
しかし、今はそのほとんどの方が退職され、この私も上から数えた方が早い!(年齢共々)というポジションになってしまいました。
現在は四代目社長が指揮を取られています。
今までの材木屋さんとは一線を引く考えを持っておられる現社長!
ワタシより若い社長!
正直、当初はいろいろなことで戸惑いました。
ですが、次第にこれが21世紀の材木屋さんのスタイルなんだと思うようになってきました。
その後、いろんなタイプの後輩たちも増え、白髪も増え、守備範囲も責任も増しております。
世の為、人の為、会社の為、そしてもちろん自分の為、
老体にムチ打ってまだまだがんばって行かなくてはと強く思う今日この頃であります!!!

弊社社員紹介

佐久間木材で働くメンバーを紹介します。
 | 木材バカ四代 | 正さん | まるこんぶ | 兄貴6 | ゴン |
 | ドサンコ | くりすけ | 2号目 |